Nikon D5100 Topcor P.T 180mm f/5.6
Nikon D5100 Topcor P.T 180mm f/5.6
Nikon D5100 Rodagon 135mm f/5.6
Nikon D5100 Rodagon 135mm f/5.6

私鉄特急は、あまりNゲージ製品化がされてないですが、KATOのアーバンライナーも、かなり長期に渡り再販がありませんね。これは登場時の姿(オリジナル車)ですが、次回は現行仕様(アーバンライナーPlus)での製品化を望みます。この車両の室内パーツは白なので、ちょっと明るすぎる印象ですが、座席の色も実車に合わせて、デラックスシート(ワインレッド)、レギュラーシート(グレー)になれば、室内灯の見栄えも良いでしょう。この模型は前照灯を電球色のチップLEDに交換していますが、元々は、下で光る列車種別表示灯と同じ、黄緑色のライトです。この車両はお気に入りなので、よく走らせており、ときに走らせたまま寝てしまい、実車ではあり得ない長距離を走破させていることもあります。これのHOもKATOから出ており、欲しいですが、なかなか再販してくれませんね。

 

NゲージやHOゲージは、この近鉄車両のような1435mmの標準軌道を走る列車しかリアルに見えません。1435mmの1/150なら約9.5mmですので、Nゲージは標準軌道車両の再現としては略ファインスケールと言えますが、狭軌鉄道を走る国鉄JR等の車両には9mmゲージは蟹股すぎて非常に格好悪いです。HO(16番)も同じことが言えます。

 狭軌鉄道は軌道間隔1067mmですから、その1/150なら約7mmのところを9mmで作ってあり、そのため台車が車体ぎりぎりか車体裾から出ています。実車に乗って窓から下を見たら台車が見えるとか、あり得ないでしょう。 既存の製品で妥協満足しているモデラーも何だかんだ言いながら、もし既存の1/150Nゲージ車両用の軌間7mm用交換台車と軌間7mmのセブンゲージ線路(仮称)を生産したら絶対にバカ売れしますよ。

 

しかし軌間1067mmで車体幅2944mmとか、線路幅に対して車体幅が2.7倍以上もあるから安定悪くて、風に吹かれて鉄橋から落ちたり地震で転んだりしていますね。 餘部鉄橋から客車が落ちた事故だって福知山事故だって、原因究明もなにも狭軌鉄道に大きな車両載せて走らせるからですよ。軌間に対して車幅が2倍未満の近鉄アーバンライナーなら落ちてない。カーブで転んだりもしていないと思います。


Nikon D5100 Rodagon 135mm f/5.6
Nikon D5100 Rodagon 135mm f/5.6

国鉄末期の頃、中京快速(浜松~米原)の編成に、通常は湘南色のところ、修学旅行色(こまどり色)や、新快速色(ブルーライナー色)が混じり、また普電の111系には横須賀色が混じるなど、時には3色混結の珍どこ編成で走る列車も見られました。優等列車の比叡も例外ではなく、編成の一部に新快速色が混じることがありました。模型は、Mユニット全車が新快速色という派手な編成で走った、急行比叡の編成を再現しています。 

★編成の記録と実際の編成写真をご提供いただいたG様。有難う御座いました。 


Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6
Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6

これは武豊方面行きの一番列車で、大府駅を朝6時に発車します。 途中、尾張森岡駅と石浜駅は通過で、尾張森岡駅では大府方面からの急勾配を駆け下りてくるので、ときに推定時速90キロ以上で通過する、当時の武豊線としては意外な光景を観れる列車でした。今は武豊線も大部分がロングレール化されましたが、この列車の先頭台車が高速でジョイントを叩きながら迫ってくる様は鳥肌モノでした。武豊駅で折り返し925Dとなり、約70分後に大府駅に戻ってきます。日によって7両編成のこともありましたが、急行かすが増結時には10両編成になる列車です。名古屋駅では関西線ホームに到着し、そのまま急行運用に就きます。

 

JRに移行して、車体色がJR東海色に変更された後も920Dの編成には急行かすがに使う車両が含まれ、編成中の2両はリクライニングシート装備の3001番のことが多かったです。その頃の920Dはキハ58+キハ65×3組(6両編成)でした。


Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6
Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6

名古屋から送られてくる急行前運用列車の第二陣で、こちらはグリーン車を連結しています。朝6時半頃に大府を出発し、各駅停車で武豊に向かいます。再び大府駅に戻るのは7時50分頃でした。通常運用で最も長い編成の列車です。この列車は更に”急行おくみの”を併結する列車ですが、武豊線に入っていたのは9両編成です。グリーン車を名古屋方2両目に連結の編成は80年ごろまでで、末期は連結位置が異なります。


Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6
Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6

こちらは夕方18時台に武豊線に入ってくる急行後運用列車で、グリーン車と最後尾には荷物車が連結され、武豊線急行間合い列車の中で、模型化するのに最も楽しい列車と思います。但し、模型の荷物車はキハユニ26で代用しています。この列車の武豊方3両は、920Dで入ってくる急行かすが1号の戻りなはずですが、朝は5両で戻しは3両。あと2両はどこに置いてきてしまうのか、調査していません。模型の編成通りで、武豊方先頭はキハ28のことが多かった列車です。パノラミックウィンドウ車が先頭で来たこともありました。なお1978年末期頃から、キロの次位にキハ65が連結されるようになりました。

 

この当時のキハ35系はオール一般色でしたが、1978年に1両のみ前面強化された首都圏色のキハ35-175が入り、当時の武豊線では非常に目立つ存在で注目されました。※武豊線ではキハ30、キハ36は使用されておりません。キハ35は、のちに首都圏色が増えて、逆に一般色が貴重な存在となり、キハ35系引退時は全て首都圏色でした。なお武豊線で使われたキハ35はシールドビーム2灯タイプばかりで、1灯ライト車は希少な存在でした。記憶の限りでは1両だけで、91番です。キハ35系以前に使われていたDCはバス窓車の記憶がありますが、はて何系だったかは知りません。


Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6
Nikon D5100 CM Fujinon W 210mm f/5.6

こちらは上に掲載の946Dと同スジの改番列車で、79年か80年か忘れましたが、この列車にキハ65が連結されるようになり、次いで荷物車もそれまでのキニ26からキニ28に変わった、このようなキロ入りキハ58系国鉄色の堂々たる編成が武豊線に往来していた末期の頃の編成です。これも4形式が入り乱れ、模型化するのに楽しい編成かと思います。画像のキニ28はマイクロエース製品です。なお当時の名ナコ急行気動車はキハ57が多用されており、キハ58のところは全車がキハ57のこともあります。キハ58とキハ57で外観上の違いは、キハ57は台車がエアサスなのと、キハ57は前照灯が寄り目になった車両があり、顔で見分けがつくこともありました。

 

946Dは、よく乗った記憶のある列車で、名古屋駅を出発し武豊線に入る直前くらいになると、車内放送で「途中、尾張森岡と石浜では前寄り2両がホームからはずれます」と案内があります。ところが帰宅ラッシュ時間帯で車両移動は困難なため、前寄りに乗ってしまうと飛び降りるしかありません。自分は敢えてそれを楽しんでいました。現在の尾張森岡駅は基本的に当時のまま近代化された感じですが、ホーム南端からの出入りが出来なくなっています。ホーム有効長は6両分です。緖川駅は、以前は貨物駅もある大きな交換駅で、有人の地上駅舎と跨線橋があり、対向島式ホームは上下線間が大きく離れていました。現在は交換駅となっている石浜駅も当時は尾張森岡と同様な単線駅で、ホームの有効長は6両分でした。

 大府駅も1976年に大きく様変わりしており、以前は現在のような駅前ロータリーの通りはなく西口もなく、現在のミスドの前辺りが駅の玄関口でそこに名鉄バスが発着していました。駅舎は緖川駅と似たような木造で、改札を入ると東海道上り線ホーム、隣は武豊線ホーム、その奥が東海道下り線ホームなのは現在も同じです。

 

キハ58中間連結部の車内は、助手席側は仕切りがなく通路に開放される構造になっており、助手席に座れるばかりか、足元には汽笛ペダルまで付いており、鳴らすことが出来てしまい楽しかったです。また925D(かすが1号)は、小学6年の修学旅行で武豊線から乗り込み奈良まで行った思い出の列車でもあります。キハ58系は、当時は全国どこに行っても見られた、地味で身近すぎる存在でしたが、過去を思い起こせば一度限りの特ネタよりも、身近だった存在ほどしみじみ懐かしく想うものですね。

こちらは国鉄武豊線大府~尾張森岡の下り勾配区間で収録しました948Dの実際の通過音を使用した動画になります。模型は2エンジン車はすべてキハ58ですが実際にはキハ57が主体の編成で、DT22台車の制動音を発しているのは3両目とキロ28、キニ28の3両。よって、それ以外はキハ57またはキハ65である証です。


FinePix S9100
FinePix S9100

昭和53年に登場。直流電機初の交差型パンタを搭載した新EF65PFは、ブルトレブーム全盛期のスター的存在でした。P型から交代した当初は、前面右側がのっぺらぼうでカッコ悪い機関車と思いましたが、真っ直ぐに切り立った横顔やツララ切りなど、なかなか精悍な顔つきにも見えて、何よりブルトレ現役機というのもあって、のちに前代機のP型よりこちらが好きになりました。国鉄末期に東海道ブルトレ牽引機がEF66に代わりますが、古い貨物用機関車が客車を牽くこと自体に最初は違和感がありましたし、東京-九州ブルトレで馴染みだった番号のPFが、貨物牽引に転じたのは非常に残念に思いました。しばらくして国鉄が民営化されて、車両の側面など、それまで何も表示されていなかった部分にベタベタ無造作に貼られたJRマークに興醒め。終わった心境で、そのときから徐々に鉄離れが始まり、あまり行動しなくなります。

 

KATOの24系25型100番台はバックサインがイラスト仕様になっていますので、使用できる機関車は、バックサインが文字からイラストに変更された昭和54年に牽引機だったEF65PFか、EF66になります。P型で牽くなら客車のバックサインを文字に交換しないとウソ電になります。KATOの24系25形客車は国鉄編成しか組めませんので、EF66も国鉄末期の姿に限られますが、初期の頃はヒサシ無しや901号機牽引も実在しています。

 

ところで、KATOのこの機関車に付属の九州ブルトレマークは ”みずほ” や ”さくら” など、14系14形ブルトレマークしかなく、客車はトミックスを買ってくれと言わんばかりの仕様です。KATO24系25形客車を牽くには、P型に付属している ”あさかぜ” ”富士” ”はやぶさ” のマークを買うか、あとは20系を買って、HMなしの臨時あさかぜ編成を牽引するくらいしかありません。急行銀河と出雲2,3号+紀伊を牽いたPFは、EF58から交代して暫くは新製配備の1130番台が限定的に使用されており、それらは当初ホイッスルカバー付で、九州ブルトレ機とは汽笛の外観と音色が異なっていました。